バレンタインデーの由来 元々はチョコではなく愛の手紙だった
2月14日(土)は、バレンタインデーですね。
女性にとっては、何かとお金のかかる日ですが、男性にとっては、ワクワクドキドキの日!
欧米では贈り物をチョコレートに限定せず、愛情を込めたカードや贈り物を男女で交換しあうことが多いようです。
ところで、2月14日は、世界各国で愛の誓いの日とされているバレンタインデーですが、バレンタインデーの由来は、ご存知ですか?
アンケートによると、7割近くの人がバレンタインデーの由来や本当の意味を知らないそうです。
バレンタインデーの由来は諸説ありますが、ここでは、もっとも知られている説を詳しくご紹介しますね。心の奥が熱くなる感動のお話です。
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バレンタインとは、キリスト教司祭の名前

バレンタインデー「St.Valentine’s Day」は、「聖バレンタインの日」という意味ですが、St.Valentineとは、人の名前で、3世紀のローマ帝国にいたキリスト教司祭の名前です。
3世紀半ばのローマ帝国は、滅亡の危機に見舞われていました。外敵との抗争や、ローマ帝国内各地で、反乱が頻発していて、各地の軍隊が、自分たちの上官を勝手に皇帝に祭り上げるという軍人皇帝時代になっていました。
そのため、50年間の間に、軍隊によって擁立された軍人皇帝26人の在位は、たった1~2年から数年で、ほとんどの皇帝は暗殺されるという非常に不安定な時代でした。
そうした国の衰退とは裏腹に、キリスト教の勢力はどんどん大きくなり、バレンタインのような神父の人気も高まっていきました。
ローマ帝国の神々を崇拝せず、異国の神を信じるキリスト教は、ローマ帝国の為政者にとっては、面白くない目の上のたんこぶのような存在だったのです。
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兵士の結婚を禁止
時の皇帝クラウディウスⅡ世(在位 268年 – 270年)は、強兵策の一環として若い兵士たちの結婚を禁じてしまいました。兵士たちを戦争に行かせて、そこで国のために命を捧げて戦わせるために、兵士たちに愛する家族がいては、その士気が下がるという理由のためだけに。
若い兵士たちを可哀想に思ったバレンタインは、恋人たちの強い気持ちに打たれ、こっそり恋人達に結婚式をあげていました。

ところが、これが見つかり、バレンタインはクラウディウスⅡ世に呼び出されます。クラウディウスⅡ世は、バレンタインにローマの宗教に改宗するように言いますが、バレンタインの主イエスへの信仰は固く揺るぎないものであったため、バレンタインは囚われの身となってしまいます。
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盲目の娘に起きた奇跡!
バレンタインは、囚われの身となってからも、キリスト教の教えを周りの人たちに説き続けます。そんな中、看守(一説には判事とも)の娘が、病で盲目となったことを聴き、バレンタインは、病で光を失い絶望のどん底にいる娘に会います。その娘は、挙式間際に原因不明の重病に侵され、何人もの医者からの治療を受け、体は回復しましたが、視力だけは悪化の一途をたどり、ローマの神々に祈る日々が何年も続いたのですが、結局、失明してしまいました。

自尊心の高かったその娘は、半狂乱となり、生きる意欲を完全に失っていました。
娘は、自分に会いにきたバレンタインに対して、「何しにきたの!帰って!帰って!」とヒステリックに叫びました。
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バレンタインは、その娘が、まだ若いにもかかわらず嘆き哀しむ日々の中で、命の輝きを無くしてしまってることに深い憐れみを感じました。
バレンタインは、その可哀想な娘の痛み・苦しみを我がものとして受け止め、渾身の力をふりしぼって、娘がバレンタインに「帰れ!」と絶叫する中、床にひざまずき、神に祈り始めました。
「主よ、暗闇に閉ざされたこの娘の目に、再び聖なる光が射しますように!主よ、この願いが、かなわぬなら、どうか私の視力を奪って、この娘にお与えください。私には少しも悔いはありません。主よ、主よ!お願いです!この娘に聖なる光をお与えください!!」
バレンタインの全身全霊のすさまじい祈りが続き、やがてバレンタインは、静かに立ち上がり、両手でその娘のまぶたを優しく包みました。
すると娘は、暗闇の中から、わずかな光を感じ始めました。バレンタインの手が、娘の瞳からゆっくり離れるにしたがって、娘は少しずつ光を取り戻していきました。
そして娘は、そばにいた両親の顔をはっきりと見ることができました。娘の瞳から、熱い歓喜の涙がこぼれ落ちました。
娘は、自分を暗闇の絶望の世界から救い出してくれたバレンタインを心から慕うようになり、バレンタインもまたその娘を心から愛しく思うようになりました。
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皇帝の非情な処刑命令
この奇跡から娘の家族・親戚一同がキリスト教に改宗し、その事を知ったクラウディウスⅡ世は、怒り心頭で、バレンタインと娘一族全員を処刑するように命じました。270年(269年という説も)の2月14日、バレンタインは皇帝の親衛隊から殴る蹴るの拷問を受けた末、斬首されました。
そして2月15日から始まる古代ローマの豊穣祈願祭「ルペルカリアの祭り」の生贄とされました。
バレンタインは死ぬ前に、「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)という署名入りで、娘に手紙を遺しました。

そして、その娘もまた処刑されてしまいました。
娘は、処刑の前に、「お前はまだ若い。今、改宗するのなら死罪を免じてやる。お前が望めば、裕福な貴族の奥方にもなれよう。」という役人からの申し出も拒んで、あえて死罪を選びました。
娘は、「私は光を取り戻したときから、バレンタイン様以外の男性を決して愛さないと神に誓いました。バレンタイン様をただ一つの夢としてイエス様のもとに旅立ちます」と言って処刑されたのです。
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バレンタインや娘一族に残酷な仕打ちをしたクラウディウスⅡ世も、まもなく、在位わずか2年足らずで亡くなりました。
北方から押し寄せる蛮族ゴート人の大軍と戦い、勝利をおさめたものの、戦場で発生したペストで、あっけなく亡くなったのです。
その後、4世紀になってバレンタインをまつる聖堂が、彼の殉教地に建てられました。そして、死をもって貫く神に対する深い愛をもった愛の守護聖人としてバレンタインの伝説は伝えられていきます。
バレンタインデーの誕生

時は流れ、バレンタインの死後約200年。古代ローマには、2月15日に行われる豊穣祈願祭「ルペルカリアの祭り」が何百年も続いていました。
祭りの前日の2月14日の女神ユノの祝日には、独身の女性は、自分の名前を書いた札を桶に入れ、翌日ルペルカリアの祭りが始まると、独身男性が、その桶からひいた札の名前の女性と、お祭りの間ずっと一緒にいることが決められていて、ほとんどの男女はそのまま恋に落ち、結婚したそうです。
当時は若い男女は生活が別々だったので、今でいうお見合いみたいな形だったのでしょう。
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しかし独身男女の風紀の乱れを心配したキリスト教は、ルペルカリアの祭りの独身男女の風習を止め、約200年前にルペルカリアの祭りに生贄とされた聖人バレンタインを祀るお祭りと定めました。
恋人たちを、皇帝に隠れて結婚させ、皇帝に改宗を迫られても、神への愛を貫き、殉教した愛の守護聖人バレンタイン。
そのバレンタインを祀るお祭りになってからは、バレンタインが娘に「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と最後に手紙を遺したことから、2月14日には、男性が好きな女性に手紙を贈る風習が生まれました。
そして、時の流れと共に、次第に男女でカードを贈る日となっていったそうです。
日本のバレンタインデー

日本では、女性から男性へチョコレートを贈るという独自の習慣ができましたが、日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは、昭和11年、モロゾフでした。
昭和33年には、メリー・チョコレートが新宿伊勢丹で、「バレンタインデーにチョコレートを贈ろう」とキャンペーンを行ったそうですが、当初はほとんどチョコレートは売れなかったそうです。
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その後も、様々な企業がバレンタインデーのキャンペーンを行いますが、なかなか定着することはなく、日本でバレンタインデーの習慣は定着しないのではないかと言われたほど。
不思議なことに企業がやっきになって宣伝をしていたときには、庶民になかなか広まらなかったバレンタインデーの習慣ですが、その後、中高校生の学生たちの間で、チョコレートを贈ることが広まってからバレンタインデーの人気に火がついたそうです。

自分の命を犠牲にしてまでも、若い男女の愛を支え続けた愛の守護聖人バレンタイン。
そのバレンタインが殉教した2月14日に愛を告白すると、必ず成就すると信じられてきたバレンタインデー!
今年は贈り物をするときに、バレンタインのことを思い出しながらプレゼントを贈ると、バレンタインの祝福を受けて、あなたの愛が実るかもしれませんよ♪
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